まだテスト終わらねえとか

まじいい加減にしてほしい。
せっかくの五連休もテスト期間なんで勉強しっぱ!
まあしてなかったけど。


気分転換に「甲殻」の映画を見る。
一番古い「ごーすといんざしぇる」です。


でまぁ、メイキングみてたらふと「押井守って今どんな感じなんだろ」と思ってググる
あー、老けたねぇ、さすがに。
でもなんか、あの汚らしい長髪も白髪まじりだと汚らしさが薄らぐから不思議。


んでwikipediaを一読して検索結果を見てたら面白いページを発見。
まぁネタ自体は古文書レベルなんですが、こちら
http://www.kiwi-us.com/~amigo/otakuuta/osii.htm


「氏ね氏ね押井守(一部修正)」というなんとも過激な内容なのですが、論調はさておき文体が面白すぎる。


要するに押井は(中略)一見難しそうな話をすることで「難しい=価値がある」と誤解している人々をだまくらかし、不当に高い評価を得ている極悪人だ、と言いたいのだ。百歩譲って押井に悪意がないとしよう。本人は誠実に何かを伝えようとしており、しかしながら結果としてただ難しいものになってしまっただけ、としよう。だがそれでも押井はクソである。なぜならそれは表現として失敗であり、プロの表現者としての失敗だからである。そして失敗作を数多く垂れ流しながら、不当に高い評価を得ている。押井はクソだ。許すまじ。


ったくwwwwwwwどんだけキライなんだよwwwwwwwwwwwwww
いやまぁ確かに俺も押井守はキライだ。
髪は汚らしいし、目つきわりぃし、特にあのモゴモゴとした喋りとか、マジでイライラする。
クラスにいたら確実にボコる。


けどまぁ、作品は好きだし、リンクの人が言うように「簡単な事を難しく言う」ことが悪意だともナンセンスだとも思わない。
なぜなら、相手が何を言いたいのか考える(あるいは考えさせる)ことにも価値があるからだ。
ある人は彼の作品を「深い」といい、ある人は「子供ダマし」だと言うかもしれない。
それで良いと思う。
重要なのは「なぜその様な考えに至ったのか」というプロセスを明確に持つ事であり、最も無意味なのは「うーん、よくわからなかった」と思考停止させてしまう事ではないか。
そういう意味ではリンクの文章は論法はさておき、意見をはっきり持っているわけだから意味があるし、その文章を書かせたという点で押井守の作品にも価値があったわけだ。


どうでもいいが、実際に一緒に映画を見たあとで相方に「難解な映画作れば評価されると思ってる奴ってキライなんだよね」と言われるとすげぇムカつく。
考えが浅すぎる。
例えそうだとしても「好き」とか「キライ」とかで意見を締めくくるのは考えが浅すぎる。
そりゃ直感的に不快だったんだろうが、それを単に垂れ流すのは「素直」でも「率直」なのでもなく、「短絡」だと感じる。


とにかく批判するならリンクの文章並みに過激に、面白く、それでいて論理がないと面白くないよね。うん。